ミッション

ブリッジポート大学は、学生が世界で通用する人材になるために、個人の成長の機会と専門的な知識教育の場を提供しています。また、学問的な側面はもちろんのこと、責任感、周りの人々に尽くす精神や、今後の未来を率先して切り開いていくリーダーシップを持った学生を育成するために、充実したキャンパス環境と卓越した技能と知識を持った教授陣がサポートしています。(原文:University of Bridgeport-Mission

 

ブリッジポート大学の歴史

現在のUniversity Hallが建てられる前にあった当時のSchine Hall

20世紀の前半、ブリッジポート市は「移民者の天国」と呼ばれる程、移民者の労力と共に、大きな経済成長を成し遂げました。しかし10万人以上の人口を抱える市の中で、ブリッジポート市は高等教育機関のない米国の6つの都市の一つでした。こうした状況の中で、国家の発展と成功の為には、教育への平等なアクセスが必要であると信じた地元の物理・数学の教師、E.Everett Courtright氏は、「能力とリーダーシップは全ての団体に求められなければならない」と宣言し、二人の友人と共にニューイングランド地方で最初の短期大学を創設する事を決心しました。この時の友人が、当時歯科医師として活躍し、現在本校の学部の一つであるFones School of Dental Hygieneの創設者になるAlfred Fones氏と、当時Raybestosの社長であったRaybestos Summer Simpson氏です。

1927年5月、コネチカット州の認可のもと、二年制の短期大学として地元の人々の喝采を受けながら創設されたこの大学は、最初に1,001フェアフィールド通りに位置する大きなレンガ式の建物を購入して、男女共学で学問を学べる環境を整えました。これが今のブリッジポート大学の前身です。それからすぐに、Cortright学長は大学の拡張と寮の必要性を感じ、ニューヘイブンにあったArnold Collgeを合併してビジネススクールを立ち上げました。その他にも、シーサイドパークの近くに位置するP.T. Barnum氏の物件を買い取るなど、学校の拡張に力を注ぎました

第二次世界大戦の終わりごろ、戦争から帰還した多くの退役軍人達が、「GI BILL」と呼ばれる退役軍人の学費を援助する政府の制度のもとに学校に通い始めました。当時の学長だったJames Halseyは、この機会を逃すまいと2年制大学から4年制大学へと成長させることに成功しました。1947年、ついにブリッジポート大学の名義からなるキャンパスが、シーサイドパークに沿った形で作られました。さらに新しい専門学部が追加され、多様性に富んだアイディアとチャンスを提供する大学が、ここに建てられたのです。 革新的な考えを持った人々によって、1世紀も前から計画されたブリッジポート大学の創立精神は今もなお受け継がれており、さらなる広い世界へと続く道を示し続けています。

ブリッジポート大学の授業

少人数制の講義

少人数制クラス

ブリッジポート大学では、学生と教員の比率は16:1、各クラスの平均人数は20人と、少人数制の授業を提供しています。少人数制の授業は、大人数の講義に比べて

  • 質問しやすい
  • 講義に集中できる
  • 講義の密度が濃い
  • 教授が学生の理解度を確認しながら授業ができる
  • 教授が学生の顔と名前を憶えてくれる

など、たくさんの利点があります。

特に、わからないことだらけの海外留学では、大人数の講義では授業に置いてけぼりになりがちです。一クラス100人近くいる講義で、クラスメイトに話しかけたり、教授に質問するにはとても勇気がいります。しかし、ブリッジポート大学のような少人数クラスの場合、クラスメイトが留学生を気にかけてくれたり、理解できていないという表情に気付いた教授が、わかり易く説明しなおしてくれることもあります。