アメリカの公共政策大学院の授業:「文化と開発」①

私はブリッジポート大学の公共政策大学院で、「東アジアと太平洋地域研究(East Asia and Pacific Rim)」を専攻としています。私の学部の他の専攻には「国際開発と平和学(Global Development and Peace)」があり、一緒の授業を取ることが多いです。 今回は、どちらかというと「国際開発と平和学」の専攻内容に近い授業として私が履修した「文化と開発(Culture and Development)」について、何回かに分けてご紹介したいと思います。

グラミン銀行モデルの問題点

この授業では、最初にグラミン銀行について触れました。 皆さんはバングラデシュのグラミン銀行を知っていますか?国際開発に興味がある人はたいてい知っているかと思いますが、2006年に創設者のムハマドユヌス氏と共にノーベル平和賞を授与された団体です。

ムハマド・ユヌス
ムハマド・ユヌス

このグラミン銀行のサービスの特徴はマイクロクレジットとかマイクロローンと言われており、貧困層、特に女性に対して低金利の無担保融資をおこなうことでした。女性たちは複数人で一つのグループを作ってお互いが連帯保証人になり、その融資を元手にスモールビジネスを立ち上げ、うまくいけば貧困から脱することができるという、それまでの援助とは違ったアプローチによる貧困解決の取り組みとして評価されてきました。 このグラミン銀行の成功モデルは、さっそく他の国々でも展開され、今やほとんどの途上国でマイクロクレジットによる取り組みが進められています。 では、グラミン銀行のノーベル平和賞授与から10年以上経った現在、マイクロクレジットによる取り組みはどの程度実を結んだのでしょうか?例えばこんな記事があります。 マイクロクレジットですぐに貧困脱出はできない:研究結果が明らかに この記事によると、ボスニアヘルツェゴビナ、エチオピア、インド、メキシコ、モンゴル、モロッコにおいて37,000人を対象におこなわれたマイクロクレジットの成果について、「劇的な変化は見られなかった」という結論が出たとのことでした。 大学院の授業ではここから、文化が開発に与える影響について考えていくことになりました。例えば上記のマイクロクレジットの場合、女性を中心に融資する理由として、一般的に女性が家計を預かっているためであると言われています。しかし、国ごと、場合によっては同じ国の中でも地域ごとに、「女性」の位置づけや役割などの捉え方は千差万別です。ですから、当然同じ手法を用いても、国や地域ごとに成果が異なるという事態が発生しますし、場合によってはグラミン銀行が取り組んだバングラデシュでしか的を得ない手法だったという可能性さえあるわけです。 例えば、悲しい出来事ですが、ある地域ではマイクロクレジットで借りたお金を返せずに自殺してしまう人々もいます。そこには、マイクロクレジットを提供する側の問題もあれば、連帯保証制度からくる人間関係のプレッシャーをどのように借り手が感じ取っているかといった文化レベルの要因も考えられます。 開発を論じる際に、往々にしてその手法がフォーカスされがちで、文化と言うのは目に見えない部分でもあるため忘れ去られがちです。しかし、文化は手法と同じくらい、場合によってはそれ以上に重要なファクターになりうるわけです。 授業ではさらに、「文化とは何か」、「開発とは何か」という定義についての議論となりました。 文化については文化人類学者のクリフォード・ギアツの「厚い記述」が引き合いに出され、文化を理解するうえで、物事の文脈を見極めるということが大切だといった話がされました。クリフォード・ギアツは文化を記号論としてとらえていて、その記号をいかに解釈するのかと言うプロセスが文化を理解するうえでも必要だという内容でした。ちなみに私はこのあたりの議論に英語でついていくのはけっこうきつかったですね。日本語で読んでも難しい文章を英語で読むなんていう体験、大学院レベルでは日常茶飯事です。。。 開発についてはギルバート・リストの「開発の歴史」が紹介されました。クラスの学生たちも開発に対する関心が高いためか、活発な議論がなされました。そもそも開発とは何か?北は先進国、南は途上国だとかいう捉え方は問題ないのか?資本主義化すること、GDPが増えること、グローバル化することが開発、または発展なのか?等々、議論は絶えませんでした。ここで、私たちが普段何気なく使うグローバル化(Globalization)、産業化(Industrialization)などの言葉は、実はその定義をあいまいにしながら使っているのではないかという結論になりました。 ここで授業の導入は終わりです。この続きはまた次の機会で。